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ムー大陸をも記した『聖徳太子の地球儀』

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日本にも「聖徳太子の地球儀」と呼ばれるオーパーツがある。兵庫県揖保郡太子町の斑鳩寺に「聖徳太子が作った」として伝わる「地利石」がそれだ。

斑鳩寺は推古天皇14(606)年に聖徳太子によて開基されたという天台宗の古い寺院だ。

仁王門をくぐると講堂、聖徳院、三重塔と、法隆寺によく似た伽藍配置になっている。

 

境内には宝物殿もあり、木造日光菩薩立像や木造月光菩薩立像など国指定の重要文化財が並ぶ。

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そしてその傍らにソフトボールぐらいの大きさの「地利石」がある。

この「地利石」がオーパーツとされるゆえんは、この"塊"が地球儀にしか見えない点にある。

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陸地を凸面、海を凹面と見立てると、日本をはじめ、ユーラシア、アフリカ、南北アメリカ大陸、そして南極大陸までもが確認できるのである。

南北アメリカ大陸がコロンブスによって発見されたのは1492年、南極大陸が発見されたのは1820年のことである。太子はどうやって、このふたつの大陸の存在を知ることができたのだろうか。

 

さらに地利石をよく見ると、ちょうど太平洋の中央に巴形の陸地を目にすることができる。

なんとこれは、今から約1万2000年前に海に沈んだムー大陸を思わせる。

日本史に数多くの伝説を残す聖徳太子だ。何らかの方法で超古代の地球の地形を知り得たとでもいうのだろうか。

 

もちろん否定する向もある。最も多いのが、漆喰と海漏糊でつくられた地利石の素材が、戦国時代以降に日本で確立した技術だとして、太子由来のものではないというものだ。

1713年、江戸中期に出版された『和漢三才図会』に掲載されている地図「3階興地全図」似ていることから、江戸以降に作られたものだという説もある。

しかし、そのころにはまだ「ムー大陸」の概念すらない。"地球儀"はいつ、誰がどこから持ち込んだのか…謎は未だ尽きない。


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