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杉沢村伝説の真相

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かつてテレビや雑誌で取り上げられ、"都市伝説の寵児"となった「杉沢村伝説」。

その概要は、数十年前、精神に異常をきたしたひとりの青年が、村人全員を惨殺し、全滅した村が、"凄惨な事件の面影を残したまま"青森県のどこかに存在するというものだった。

しかしどのメディアでもこの「杉沢村」を発見するには至らず、次第にそのブームは過ぎ去っていった。

 

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「発見するには至らず」という表現には少々誤解があるかもしれない。というのも、この「杉沢村」はあくまで都市伝説であり、実際には存在しないからだ。

しかし"火のないところに煙はたたない" このような噂が流れたのにはわけがある。

 

それは昭和28年から昭和31年までの3年あまりの間に、青森県のH市の片隅の友尾集落で発生した肉親殺人事件に端を発する。

以下はそれぞれの事件の当時の新聞の見出しである。

 

「一家八人殺し。猟銃で撃ち放火。追い出された三男の凶行」

ヒロポン中毒の弟を絞殺」

「実子殺し。父親が三本のクワで頭を一撃」

「またも肉親殺し。兄の頭をマキ割りで粉砕」

 

第一の「八人殺し」は、都市伝説・杉沢村の噂のベースになったとされる事件だ。

それぞれの事件の概要を簡単に紹介していこう。

 

●「一家八人殺し」

とある一家の三男(24)が、猟銃によって父親(57)、祖母(80)、兄(37)、兄の妻(30)、兄の長男(7)と長女(6)、次女(4)、そして事件の夜たまたま遊びに来ていた父親の姉(61)の8人を殺害。

いずれも頭部に弾丸を打ち込まれていたという。そして親戚の男性に伴われて、この三男は自首をした。

裁判では犯人が精神病を患っており、心神耗弱が認められるとして、殺人については無罪。住居侵入についてのみ有罪となり執行猶予2年の温情判決となった。

 

●「弟絞殺事件」

八人殺しの翌29年10月、ヒロポン中毒で精神病院に入院し、事件の16日前に病院を脱走して自宅に舞い戻っていた農家の三男(21)が、49歳の母親に小遣いをねだったが、そばにいた次男(25)がそれを制し、追い払った。

これに腹を立てた三男は短刀を持って家に引き返すと、次男に向かっていきなり切りつけていった。

二人は乱闘となり、次男は腹を切られたものの、逆に三男を取り押さえ、首を絞めてそのまま殺害してしまった。

事件後、正当防衛を認められた次男は釈放されることとなる。

 

●「息子殴打殺人事件」

昭和30年10月の夜の7時半頃、次男(21)が「北海道に出稼ぎに行くから金出せ」と父親(48)に迫った。

父親が断ると、次男は父親につかみかかって首を絞めた。殺されると思った父親は夢中になって、手近の棒を手に取って抵抗した。だが、棒と思っていたものは三股にわかれた鉄クワで、気づいたら次男のアゴや首を滅茶苦茶に殴打していた。

次男は出血多量で死亡。普段から素行の悪い次男であったため、父親への同情が集まり情状酌量されて、判決は懲役4年の温情判決となった。

 

●「マキ割り滅多打ち殺人事件」

昭和31年3月、同村にて4たびの肉親殺人事件が発生した。

農家の長男(29)で無職は、家の金を使い込んでは遊び回る不良であり、ヒロポン常用者でもあった。

事件の日の夜、自宅から種籾を盗み出して売り払おうとしたところ、母親(63)と弟(26)に見つかって、家を追い出された。

そして台所に水を呑みに行くふりをして出刃包丁を持ち出し、弟に襲いかかった。乱闘になったが、弟は夢中になってそばにあった長さ約30センチのマキ割を手にし、そのまま兄の頭を滅多打ちにした。

長男は頭蓋骨を粉砕され、その後死亡した。普段から札付きの悪だった兄と、真面目で好青年として評判だった弟。

この事件でも世間の同情を集め、正当防衛が考慮された。

 

同一集落でこれだけの肉親殺人が続いたのは、はたして偶然か。そしていずれも"温情判決"が下されている。

いずれにしても、これらの事件が周囲の人々に「呪われた村」として心に刻みつけられ、事件をかたることはいつの頃からかタブーとなった。

そして時を経て「杉沢村」という呪われた村の伝説ができあがっていったのである。


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